topTOP インタビュー ステレオタイプを捨てた生き方・働き方 番頭/イラストレーター塩谷歩波さん(29歳)

ステレオタイプを捨てた生き方・働き方
 番頭/イラストレーター塩谷歩波さん(29歳)

インタビュー 2019.10.18

20193月、MBSの「情熱大陸」にくぎ付けになった。
出演していたのは、塩谷歩波さん。

有名設計事務所で働いていたが体調を崩して退職。その後、「自身を救ってくれた銭湯に恩返しがしたい」と銭湯に関するイラストを描き始めたという番組内容だった。

早稲田大学大学院卒業後、有名設計事務所に入社し、エリート街道を歩んできたが、そこから小杉湯の番頭に転身。
塩谷さんはどんな生き方・働き方をしているのだろうか。「詳しくお話をお伺いしたい」と感じて取材を申し込んだ。

「『未来』ばかり見ていて、『今』を犠牲にしていました。今が一番楽しい」と笑顔で話していた。
紆余曲折を経て、「今」を生きている塩谷さん。

 銭湯図解のこと、これまでの生き方・働き方、そして「未来」「過去」「今」について伺った。

 

経歴

1990年生まれ。2015年に早稲田大学大学院(建築学専攻)を卒業後、有名設計事務所に勤める。体調を崩し、2年ほどで退職。

休職中に出会った銭湯に救われ、銭湯内部を描いたイラスト「銭湯図解」をSNS上で発信すると、大きな話題となり、2019年には書籍化された。現在は高円寺駅近くの「小杉湯」で番頭として働きながら、イラストレーターとしても活動。好きな水風呂の温度は16

「20代が生活を豊かにするのに銭湯は、ちょうどいい立ち位置」

―まず、「銭湯図解」についてお伺いさせてください。どうして銭湯を描かれようと思ったのでしょうか?また、どのように描かれているのでしょうか?

銭湯の室内は写真が取れないので、当時は銭湯の情報がなかなか外に出ていませんでした。

しかも、少ないながらも発信されているのは、「銭湯マニア」向けの情報で、お湯は何度とかカラン何個とか…データしかありません。
でも、私が銭湯を好きだと思ったところは、銭湯の中に光が差し込んでくるような建築的な部分や、おばあちゃんがゆっくりしているような銭湯の姿…、そういう部分なんです。

今、世に出回っているイメージだけだと銭湯のことは語り切れていないと思いました。

この描き方は、「アイソメトリック」という建築図法の一つです。
この描き方なら、銭湯の中身がよくわかりますし、かつ人がどうしているのかが分かります。

私が感じている銭湯の魅力を伝えていくためにこの描き方をしています。

 

「昭和湯」のイラスト(『銭湯図解』塩谷歩波著、中央公論新社より)

―確かにこちらの図解だと、銭湯や人の様子がよく分かりますね。こだわっている点はどういうところでしょうか。

絵の中に、私が取材で行ったときにあった出来事は絵に落とし込もうとしています。
例えば、おばあちゃん同士で背中の洗い合っている姿を見かけると「すごく素敵だ」と思って絵に落とし込む…みたいなことをしています。
だから、そういう細かい部分も見てもらえると嬉しいですね。

 

―銭湯が減り続け、若い人の間でも銭湯に行く人は少なくなってきているそうです。

「若い人たちに周知していきたい」という気持ちはありますが、周知の仕方として「お風呂としての銭湯」を伝えても、あまり意味がないんじゃないかな、と思っています。
お風呂の種類や大きさで比較すると、どうしてもスーパー銭湯や温泉が勝ってしまいます。

そもそも、私が銭湯でいいなと思ったところは、「サードプレイス」(注1)的な役割です。
家に帰る前に立ち寄りたいときのお風呂には、銭湯がピッタリです。

スーパー銭湯だとちょっと高いじゃないですか。(笑)
銭湯なら良くも悪くもお風呂だけです。ちょっと立ち寄れるのがちょうどいいです。

スーパー銭湯だと1000円以上しますが、銭湯なら500円くらいです。
スターバックスに行くのとほぼ同じくらいですよね。(笑)
しかも、銭湯に来れば、さっぱりできますし気持ちの切り替えもできるからスタバより効率的です。

あと、皆さんどこにいてもスマートフォンいじられているじゃないですか。
銭湯だとスマホから離れられるので、デジタルデトックスにも使えます。

さらに、友達とかと飲むときに二次会行くにしても泥酔する風潮ではないですよね。
二次会の代わりに、銭湯に来られる人も多いですよ。お酒飲むよりも距離縮まるので。

 

(注1: 「サードプレイス」とは、コミュニティにおいて、自宅<第一の居場所>や職場<第二の居場所>とは隔離された心地のよい第3の居場所。家庭と仕事の領域を超えた個々人の、定期的で自発的でインフォーマルな、お楽しみの集いのために場を提供する、さまざまな公共の場所の総称。出典:The Great Good Place,1989,Ray Oldenburg著)

 

―二次会の代わりに銭湯来るのは知りませんでしたが、かなり良さそうですね…(笑)

そうなんです!
だから、20代が生活を豊かにさせるためには銭湯はちょうどいい立ち位置だと思います。
先ほども話しましたが、銭湯の利点ってあまり知られていないですよね。
そういう銭湯の利点を、若い人に届けたいと思いますし、銭湯はめちゃめちゃちょうどいい存在なのに、知られていないのはもったいないと思っています。

小杉湯の脱衣所には塩谷さんのイラストが飾られている

小杉湯のおかげで弱さ・辛さを認められるようになった

―もともとは建築家になるために設計事務所で働かれていたそうですね。小杉湯で働き始められて心境の変化は何かありましたか?

 考え方は本当に変わりました。
小杉湯で働く前が「シーズン1」で、小杉湯で働き始めた以降が「シーズン2」という感じです。(笑)

元々建築の道にいた時は、「何かをしなければならない」、MUSTという言葉をよく使っていました。

「締め切りを守らなければならない」「20代の女性であればこうあるべき」…。
そういうステレオタイプなことをずっと気にしていました。

でも、小杉湯に来てからは、ステレオタイプの人がいません。赤ちゃんからお年寄りまで色々な方がお客さんとして来られますし、中で働いている人もサラリーマンというよりも、演劇やられている方や音楽やられている方といったステレオタイプではない方が多いです。

20代はこうあるべきだ」みたいな理想像の人がいないというか…。

それが面白いんですよ。そういう環境だから、今自分が「こうしなければいけない」という考えがありません。

体調悪いとか自分の弱さはありますが、そこを引き受けて、「そんな自分がどう生きていくか」みたいな考え方に変わることができました。

そういう「自分の弱さとか辛いところも認めていい」と価値観が変わったと思います。

―「弱さ・辛さを認めていいと変われた」ということですが、昔は認めることができなかったのですか?

認められませんでしたね。体力が人よりないのですが、「それは自分のせいだからジムに行って鍛えないと。それをサボっている自分が悪い」と考えていました。

建築の世界は、一握りの人しか成功しない厳しい世界です。
だから、自分にも他人にも厳しくしてしまうところがありました。

そもそも、大学時代から競争社会の縮図みたいなところで、建築の中でも花形と言われるのが「設計」です。
「設計」の中でも、「講評」と言われるみんなの前で発表できる機会を貰えるのは200人中の10人くらいです。
そこに入るのは誇り高いもので、私はかなりの負けず嫌いですし、そういう競争社会にいると燃えるタイプなので、絶対負けたくないと思って自分を追い込んでしまっていましたし、他人にも厳しかったです。

  

―そうした性格が小杉湯に来て、どうして変わられたのでしょうか?

 小杉湯に引き入れてくれた、小杉湯3代目の平松佑介さんの存在が大きかったです。

平松さんは自由な人で、人をすごく大切にしてくれます。私をスカウトしてくれた時も、まず私の好きなこと・やれることを考えた上で、「小杉湯をうまく利用してね」みたいなスタンスでした。社員一人一人のことを考えた上で、小杉湯とうまく付き合ってくれたら、と考えてくれています。

だから、平松さんの中で理想としている社員像みたいなものがないから、「あれをしなさい・これをするな」ということもないです。
「まず何がしたいの?」と全部聞いてくれます。

そういう人が上にいたというのも関係していたと思います。

小杉湯の脱衣所

当時の日記には「悔しい」とたくさん書いていた

―大学卒業後は、花形である設計事務所に入られていますね。そのあたりのお話を伺ってもよろしいですか?

大学卒業後、有名な設計事務所に入社しました。
嬉しかったですが、学生の時とは違って、会社に入ると自分の好きなことだけできるわけではありません。

例えば、「このデザインを実現させるためにはどういう工法が必要で、どんな材料が必要か」を調べた上で、業者の方とやり取りしなければいけません。
また、クライアントの方とのやりとりもあります。クリエイティブな時間って限られてしまいますよね。
「社会人になることはこういうこともやらなければいけないのか」と衝撃を受けました。

 

―差し支えなければ、どうして退職したのか伺ってもよろしいでしょうか?

1年半で体調を崩し、3か月休職して、復帰もしたのですが、すぐに辞めてしまったので、トータルで言えば2年くらい勤めました。

「同期に負けないくらい活躍したい」という気持ちがずっとあって、のめりこんで仕事をしましたね。ご飯は適当に食べて、とにかく集中して仕事をしていましたが、だんだんと体調が悪くなってしまいました。
眩暈、耳鳴り、疲労感が取れない…。鬱っぽい症状も出てきていて、「もうだめだ」と病院に行くと、「機能性低血糖症」と診断され、休職しました。

 

―「負けないくらい活躍したい」と頑張る中で、身体が思うように動かなくなっていくのは辛いですよね…。

当時の日記が残っていて、こないだ見返していたら、「悔しい」とたくさん書いてありました。
「誰よりも活躍したい」という気持ちがとても大きく、働きたいのに体が言うことを聞いてくれません。人生ゲームの一回休みをずっと引いている感じですよね。
実家で休職していたので、社長や上司、親にも迷惑をかけていて、本当に自分が嫌でした。友達にも言い出すのが悔しくて、なかなか言い出せませんでした。

 

―同じような心境の方も多いと思います。過去の自分に声をかけるとしたら、どう声をかけますか?

たぶん考えたところで身体がよくなるわけじゃないから、しょうがないよねという感じではあります。
恐らく、当時の私のような人に言ったところで何も変わらないと思います。だから、そういう時にかける言葉というのはあまりないです。
何を言っても辛い時期です。今の価値観で話しても絶対に言葉は通じません。

私の場合、その時に友人が銭湯に連れて行ってくれたのが一番大きかったですし、そういう時は行動するしかないと思います。

 

―初めて銭湯に行かれた時はどうでしたか?

思っていた雰囲気と全然違いますし、当時は心が曇っていたので、かなりスッキリしました。
何をしても暗い気持ちだったので、こんな晴れ晴れとした気持ちになるのは久しぶりだなと思いました。

お風呂と水風呂を交互に入る「交互浴」をやっていたのですが、これが気持ちいいんですよ!(笑)
お酒飲んで、一番気持ちよくなる瞬間があるじゃないですか。「無敵だ!」みたいな感じの瞬間です。
あの時の気持ちよさを3倍くらいにした感じで、自分を全肯定できるような気持ちになりました。

小杉湯の洗い場

「建築家になりたい」という”夢”は、いつしか「建築家にならなくてはいけない」という”呪い”に変わっていた。

―そもそも、どうして建築の道に進もうと思われたのですか?

母がインテリアコーディネーターをしていて、私が小・中学校の時に、母はそのための学校に通っていました。
そこの学校の課題で、母はよく自宅の部屋の絵を描いていて、「私も描きたい」と描き方を教えてもらったのが中1くらいです。

そのあたりから、建物に対する興味が湧いてきてきました。
絵を描き始めると、建物をよく見るようになるんですよ。

よく見ると、建物物って、とてもカッコいいです。
考えつくされていて、彫刻作品のように感じますし、季節によって顔が変わります。中に人がいることで見え方が違うというのも面白いですよね。
建築物に対して優れた芸術作品だな、というのはよく思います。見ているだけで素晴らしいですし、自分で描いていると楽しいです。
だから、私は建築の道に行こうと決めました。

でも、いつしか、建築家にならなければいけないという「呪い」に縛られていました。

 

―「呪い」というのは、どういうことなのでしょうか?

先程も少し話した通り、建築の世界では「設計」が花形です。
なので、花形の「設計」でトップを狙うなら、建築家になることが一番上です。だから、「建築家にならなければならない」とずっと思っていましたが、正直私には最終的には何の建築を作りたいかというアイディアがずっと浮かびませんでした。

「どんな建築物作りたいか」。
友人たちはそうした話題で盛り上がっているのに、私は全然話したくありませんでした。そういう話よりも自分の好きな建築物の話をしている方がずっと楽しかったのです。
「建築家になる」と言いながらも、気持ちとチグハグだという自覚はありました。
でも、それ以外に自分が何をしていいかよく分かりませんでした。

しかも、誰にも負けたくはありませんでした。
「建築家になると腹をくくらなければいけない」と思い込んでいました。

建築家になりたいという「夢」は、いつしか建築家にならなくてはいけないという「呪い」に変わっていました。

 

―先ほどお話していただいた「こうあるべきだと考えてしまっていた」につながりますね。ステレオタイプ・周りの目を気にしていたということは、それが無ければどんな道に進んでいましたか?

もし自分の好きなこと・やりたいことをやっていれば、やはり絵の道に行っていたと思います。
卒業した早稲田大学の建設学科は、学費が結構高くて、親もかなり期待してくれていました。
高い学費を出してくれた分、立派な人にならなければいけないとずっと思っていました。

あと、周りの友達に負けたくないというのもありましたし、画家なんてどうやってなったらいいか分かりません。

しかも、早稲田まで出ておいて、その危うい道に行くのは自分にはできませんでした。
絵を描くのは一番好きな時間だという自覚はありましたが、やはり堅実で自分が今までやってきたことを無駄にしない、かつ誰にも負けない状況は建築家だと思っていました。

―堀江貴文さんが2015年に近畿大学で行ったスピーチの中で、「未来を恐れず、過去に執着せず、今を生きよ」という言葉があります。まさに、塩谷さんのことを言っているなと感じました。

その言葉は知りませんでしたが、「未来」「過去」「今」については思うところがあります。

大学や設計事務所にいた頃は、「未来」のことばかりずっと考えていましたね。
「建築家にならなければいけない」と思い込み、「今」を犠牲にしていたな、というのは凄く感じます。
設計も楽しかったですが、それ以上に絵を描く時間の方がずっと好きでした。

「今」についてあまり意識を向けず、押し殺していました。
なので、ちぐはぐになっていって体調が崩れたのだと思います。

そういうことがあったので、自分の生き方としては「今」を一番大切にすることが一番良い生き方だろうとは思っています。

「未来」はそれでもやっぱり怖いですよ。(笑)
絵を一生懸命書いていますけど、絵を描いているときの集中力って並々ならぬもので、いずれまた体を壊すような気がしています。
だから、筆を持てなくなった「未来」のことを考えると怖いですが、それを恐れていてもしょうがないじゃないですか。それでまた自分の「今」を消費させたら、何の意味もないですし。

「今」は、資産もなく、あるのは自分の体だけ。
絵を描くこと以外何もないという状況です。

そうだとしても、「今」を犠牲にすることがどれだけ苦しいのかがもう分かったので、意識的に「今」を大切にしています。

 

―「今」と「未来」というお話がでましたが、「過去」についてはどうでしょうか?

確かに、建築の道にいた時は、「積み上げてきた過去を犠牲にするのか」と考えて、執着をしていました。けれど、現在では執着ってよりも、結局巡り巡って今に繋がっていると感じています。建築でやっていたことが今の絵に繋がっているわけですし。

執着しなくても「過去」はついて回るので、執着する必要はないと考えています。

 

―設計事務所を辞めるときに、不安はありませんでしたか?

不安はめちゃくちゃありましたよ。(笑)
自分自身に賭けをしたという感じです。
元々意思がものすごく強くて、自分が決めたことに対して後悔しないようにしています。

だから、すごい賭けだなとは思いましたが、「後悔は絶対しない」という気持ちでやっています。何となくうまくいってはいるんじゃないかなと思うので良かったですけど(笑)。

 

長期的な目標は作らない。「今」の自分を大切にして、その声を聞いてあげて

―塩谷さんは情熱大陸を始め、色々なWEB媒体の取材なども受けられていますね。どうして取材を引き受けられているのでしょうか?

小杉湯の広報のためという面もありますが、「ストレートなキャリアじゃなくても、なんとかなっているという生き方を伝えたい」と思っているからです。
例えば、就職するときのOB訪問の際のOBの話は、ストレートなキャリアで成功した人の例しか聞かないじゃないですか?
私は就活しているときにそれを絶望的な気持ちで聞いていました。「絵も描けて、設計もできる」という話を期待していたのですが、一切聞けませんでした。

でも、あの当時に今の私みたいな人がいたら、どれだけ自分が救われたか。

ストレートではないけれども、何とかなっていますし、いろんなこともやれています。
そうやって探りながら生きている人もいるということを私は知りませんでした。
社会に出てみると、そんな人たくさんいるじゃないですか。しかも、そういう人の話の方が面白いですよね。

だから、昔の自分にとって、そういう存在であればいいかなと思っています。

 

―今後どうしていきたいという目標はあるのですか?

長期的な目標はもう作らないようにしています。
先程もお話した通り、「未来」を考えすぎると、「今」が消費されてしまいます。短期的な目標は作りますが、長期的な目標をやると体が壊れてしまうので、もうやりません。

今の短期的な目標は、「街の絵を描きたい」や「朝ご飯をちゃんと作りたい」ですね(笑)

 

―「未来」のお話に関連して、先のことを考えて「しんどいけど仕事を辞められない」「キツいけど辞めると言う勇気がない」みたいな若手は多いです。未来を考えて動けなくなってしまうというか…。

本当に辞めても何とかなりますよ。
多分辞めることを考えると、「転職をどうしよう」とか「今以上の会社に出会えるかな」と不安になると思います。

私もそうでした。
ですが、勇気を持って辞めてみたら今いた社会が客観的に見えてきて、「なんとかなるな」と思えるようになりました。

もはや「キャリアを積んでいく」という時代は終わりを迎えているんじゃないか、と私は感じています。
もうストレートなキャリアを積んで出世していくというのが通用する世界でもないと思いますし、数年後の未来がどうなっているかも分かりません。
だから、そういうあやふやな時代に「未来」を気にしすぎることは時代に合っていないと思います。

 

―確かにおっしゃる通りかもしれません。どんなことを大切にしていけばいいと思われますか?

「今」の自分を大切にして、その声を聞いてあげることだと思います。
私の場合、「絵を描きたい」ということが一番大切な声でした。それを自分なりに考えてもがいていたら、いつの間にかここに着いていました。

とある高校で「『どうなりたい』から『どうありたいか』」をテーマに自分の半生を話したことがありました。
私は、大学時代や設計事務所にいたころは、「建築家にならなければいけない」という未来志向だったから今を消費してしまっていました。

でも、今の生き方は、これまでとは逆に、「今どういう生き方をしたいのか」を考えています。
そんな話をしました。

高校2~3年生くらいが対象で、大学に進学する時って、「あなたは何になりたいの?」とよく聞かれますよね。
それで私のように疲れてしまう人もいると思います。

 

だから、「こういうわたしのようなキャリアもあるよ」ということが伝えたかったのです。

 

―20代の中で、「キャリア」という言葉が頻繁に使われるようになりました。キャリアを考えるというのは、すごい未来志向ですね。そんなことをお話伺っていて、感じました。

そうですね。でも、だからといって好きなことだけやるわけにはいかないと思います。
未来といっても、漠然とした未来…例えば、「建築家になりたい」というのがあったとします。
そのために、今はこういう風にしていかないといけない、2年後はこうしてなくちゃいけない、5年後はこうしなくちゃいけない、7年後はこうしないといけない…というやり方はあまりおすすめできません。

2年後にはこれをするというのを決めたうえで、じゃあ今こうしているのが楽しいよね、みたいな感じで、短めな未来を何となく考えた上で、「今がどう楽しいのか」を行ったり来たりするのが良いと思います。
行ったり来たりで、目標は低めに短めに、がおすすめです。

 

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